東日本大震災からもうすぐ1年になります。
古い冊子ですが昭和12年発行の「東北の民俗(仙台鉄道局編纂)」で岩手県気仙郡気仙町(大船渡線陸前高田駅)の「喧嘩七夕」が紹介されています。用字等を少し修正しました。写真はこの冊子に収録されている勝平得之さんの複製版画の「雪むろ」です。しぶいです。
喧嘩七夕
岩手県気仙郡気仙町 旧七月七日
昔から伝わる気仙行事は、山車(だし)を中心とする。
山車の四つ車は直径1尺七、八寸、太い樫の木をくり抜いた原始的なもの、その上に台があり、台の上に土俵を六、七俵積む。土俵の上には木枠を立てる。木枠は七、八尺の立方体である。
台の上にだんだら幕を張り、前と後とを絞りあげ囃しかた六、七人が乗る。昔は簾を垂れ、冠木門を掲げ左右に屋根を張ったという。台のまん中には長い葉竹が立ち、これに五色の吹き流し、短冊が吊りさげられる。篠竹や細い割竹で、屋根を包むようバレン形に作る。これに薄紙の花をさげる。
こうした準備はひと月も前から町の子供達でなされ、葉竹の割り方や篠竹の選びかた、花の折りかた染め方など、総て兄から弟への口伝が習わしとなった。
旧七月七夕の日は、家々では竹を立て屋根を飾る。みんなお寺詣りをする。
きれいに飾られた山車は引き出される。女、子供達は、拍子木をたたき、男達の山車を引く二條の太いロープの間にあって「ヨーイヨーイ」と叫ぶ。「ひけえつ」と叫んで引き出せば、山車のまわりの人達が「ヨーイヨーイ」と叫んで歩き出す。囃しかたは太鼓、笛を鳴らす。
夜になれば本格的な喧嘩七夕となる。鉄砲町組、仲町組、八日町組、荒町組いずれも山車の装飾を取り除き四寸位の丸太幾本も、屋台車の周囲に、藤蔓で堅くしめる。女子供を去らしめ、太鼓なども粗末なものに代える。そして町々を曳き廻し、出遇うと、車と車とを正面衝突させて双方が力いっぱいに太綱を曳く。屋台を押す。双方の力が互角で白熱化すると、屋台車は前輪を宙に浮かして立ち上がる。それを倒すまいとして、丸太や角材などを使って支え、殺気だってくる。はては喧嘩となる。これを遠くで眺める女、子供達は「八日町勝った荒町負けた」などゝと囃したてる。
喧嘩七夕も、今は気仙町内だけにとゞまっているが、昔は姉歯橋を渡り高田町に押しかけ、今泉街道のまん中で、血をみる大喧嘩をしたとのことである。